江戸時代中期に創業し、現在は兄弟で酒蔵を継ぐ吾妻嶺(あづまみね)酒造店。兄の佐藤元さんが蔵元を、弟の小田中公さんが杜氏を務めていらっしゃいます。
佐藤さんから吾妻嶺酒造店のお酒造りについてお伺いしました。
兄は蔵元、弟は杜氏。兄弟での酒造り
僕は長男だということもあって、小さい頃から跡取りだと言われることについて何の違和感もなくそういうものだと思ってたんですね。拒否感とか、違和感とかは正直なくて、跡を継がなきゃいけないんだなという意識しかなかった。
それで大学4年間は東京でお酒のことをいろいろ勉強しました。
とにかく何でも「いいもの」が東京に集まっていて、すごく厳しい目で見られたものしか残っていないんだよね。お酒一つにしてもそうで、こんなすごいお酒が世の中にあるのかと。うちで造っているお酒ではとても敵わないなと思った。
首都圏で評価されることはひとつのステータスになる。自分も将来ここで認められるような経営をやっていくために「あの蔵やこの蔵みたいなお酒を造れば良いんじゃないか」と当時は他の蔵を参考にすることばかり考えていたね。
でも、徐々にうちらしいお酒で評価されないといけないと感じてきて。
うちの蔵がどんなお酒を造れるのかまだわからない中で、じゃあどうしよっかなとなった時に、今はとにかくいろんなお酒飲んで勉強するっきゃないと。
お酒を勉強するにもいろいろ種類があって、その中でもビーカー振って何か実験をするっていうのは、自分が家帰ってからはやらないだろうなと。酒造りはやりたいけど、そういう科学的なものではないんじゃないかと思ってね。
逆に日本酒ってなんでこんなに売れないんだろうかとか、これからの日本酒ってどうなるんだろうというところ。文系チックな統計をとったり、日本酒文化を調べたりすることに興味があった。
それで大学2年の秋からお酒屋さんでアルバイトを始めて、そこで「お酒を売る」っていうことの実体験をさせてもらった。酒屋さんとして消費者の意見を聞くことができたんだよ。より数値的になぜ飲まないんだとか、どの年齢層が一番飲んでるんだとか当時のお酒についての情報を把握することができるいい機会になって。それが帰ってきてからすごくためになったね。
大学を卒業して、家に帰って蔵の仕事を始めました。少し経った頃に、企業の勤め人だった弟が、蔵も大変だろうしというので帰ってくることになって。まあ正直嬉しかったよね。弟が帰ってきて「どうする?」って話をしたら「おれはお喋りとか得意じゃないから兄貴が営業に専念してくれ」とそれで自分が蔵元になり、弟が蔵の人ということになった。
そうしてうちでは弟が酒を造ってるからこそ、彼とダイレクトに話ができるわけですね。
県外で催事があるときは弟も一緒に行って、消費者からのダイレクトな声を聞いてもらう。そうすると「何本目はちょい辛口にしようか」、「何本目は折を混ぜたバージョンにしようか」と僕が思ってるお酒のイメージを弟も共有していてくれるんだよ。いちいち説明する手間が省けて、抽象的な話でもいいよとやってくれる。
そのイメージを共有してきた積み重ねで今の吾妻嶺をつくってきたね。
毎年うちはお盆明けくらいのところで、その年造るお酒について打ち合わせをしてる。
最初は前回の仕込みで造ったお酒の評価を振り返って、「そこそこ評価はあったけど、もっとこういう風にしたほうがいいんじゃないか」、「これは評価がこれからで、うちの柱になる商品として成長させたいから再チャレンジしようね」とか「これに違うアプローチをつけよう」とか。何度もトライ&エラーだと思うんだけど、そんな中で原料米を選んで、パッケージを作ってと僕が一回設計図を作って、それを杜氏である弟と話をして方針を決めています。
今が良ければいいのではない
うちには伸びしろがまだまだあると思っていて。
ひとつは、機械できっちりできる計算とかデータを活用したお酒造り。
昔より容易にそういうことができるようになっているけど、うちではまだそういう部分はやれていない。でもそれがうちの間違いない伸びしろで。
失敗して悪く行く可能性ももちろんあるけど、その分酒質が向上したとか、今評価されている酒質のまま量を増やすことができるかもしれない。
いたずらに量を増やすのは簡単で。クオリティーを維持してというのはなかなか難しいね。それで失敗する同業者も見てきた。
売りたくても今自分ができることをやっていきながら品質を維持して、きっちり丁寧なものをつくっていく。それができないとね。
それは弟も自覚してくれていて「今の品質を維持して樽を1つ、2つ増やすのも大変だ」と。もちろんできる範囲で増やそうと声をかけながら、うちも今じわじわと増やしてるところなんです。うちは何百年って続いてる蔵だから、今がよければいいということではない。先祖たちが長いスパンで考えてくれていたから、自分もずっと先の事を考えないといけないなと感じています。
蔵元として感じる“進化”
うちの創業当初のお酒を飲んだことはないんだけど、湧いて出てくる水は一定なわけで。そこから造られるお酒が吾妻嶺。どうやろうが吾妻嶺のお酒にはなるんだけど、昔なかったお米で造ります。新しい技術で造りますっていう進化はちょっとずつしてるわけで。
蔵元として、飲み手として、その進化を感じたい。
それを一番最初に感じるのは僕で。
チェックした時に、「ああこういうお酒ができるんだね」って新鮮な感覚が僕から始まるんであって。
その感覚をお客さんにも知ってもらいたい。そこだけだね、大切にしてるのは。
岩手最古の蔵。「岩手らしさのある酒」を目指して
岩手最古の蔵で、ある意味パイオニアだからこそ私たちのお酒が岩手のお酒と言ってもいいんじゃないかと。答えなんかは全然出てないんだけど、岩手といえば吾妻嶺と思ってもらえるように。そのためにきっとまだまだやれていないことがあるんじゃないか。それをひとつずつ確かめていくような、そういう蔵でありたいな。