明治19年創業「月の輪酒造店」の5代目横沢裕子さん。県外で酒造りについて学んだのち、蔵に入る。日本酒の製造だけでなく、米と麹のアイスクリームやジェラート、人気商品の「りんご梅酒」など、地元の野菜や果物を積極的に取り入れた商品開発にも取り組んでいる。
家を出た私が杜氏になるまで
女社長になるとか学校の文集に書いたことありますけど、そのころは何にも考えずにそんなこと書いたんだと思います。ある程度、意識するようになってからはどちらかというとやりたくない方で。杜氏になろうとか考えていなかったんですよ。伝統とかしきたりとかそういうのがとにかく嫌で。学生時代は家から出ようと思って上京したんですけど、東京で暮らして下町へ行くと古い伝統的な町を見て、懐かしさのようなものを感じることもあったり。まあ学生だから小遣いが欲しいんですよね。「東京でお酒の販売会をやるから手伝ってくれ」と言われると小遣い欲しさに行くわけです。そういう岩手展とかを百貨店でやった際にご一緒した方が連れてってくれたお店で日本酒を飲んで。そのとき初めて「日本酒っておいしいんだ」と思いました。
その後は地元へ戻ることになりそうだったので「お酒の勉強をする」と言えばもう少し東京に残れるかなという軽い気持ちでお酒の勉強を始めました。そこで私みたいに蔵の跡取りになるような人が研修する場があるんですけど、一緒になった人たちとお酒を飲んだり勉強したりする中で同じ境遇にある人は私だけじゃないんだなと思えて。そういうのもきっかけとしてあったんだと思います。
実家に戻ってきたときは酒造りをやるって決めて戻ってきた訳ではなくて、なんとなくやってみようかなぐらいなことで始めたんですが。まあ、やってみるととても面白い。面白いなーと思っているうちに20年ぐらい経ちました。地元に戻ってから10年ぐらいで杜氏になりました。それまで個人商店として経営していたのですが、有限会社にしたのを期に、私が杜氏になって蔵のことを任される立場になりました。「やらなきゃならない」からとやっていくうちに、「伝統は繋いでいかなければ」と気持ちが変わってきた感じですね。
お酒に不向きな「もち米」を使う理由
一部の酒にもち米を利用してる理由はもち米の産地だから。紫波町は以前は「ヒメノモチ」という品種の日本一の生産地だったんですよ。もち米は香りですとか、柔らかい状態で触ると餅になってしまい麹菌が繁殖しなくなってしまうとか、不向きであるということだったんですけど「地酒屋といいながら地元の米使わないじゃないか」ってことも周囲に言われて。
もち米を使うという発想は無かったので新しい発想を頂いたなと。やろうとなった年から製品はできてはいました。お酒というのは麹を造り、蒸したお米を投入し、という形なんですけれど、造った当初は麹の部分に関しては普通のうるち米だったんです。それから100%もち米で造るということを少しずつ試行錯誤して、翌年にはもち米の麹を造るということをクリアしました。
米と麹のアイスクリームを開発
きっかけは会長です。会長は健康オタクでサプリメントのようなもの、サメ肝油だとかニンニクだとかを食事前に摂取していたのですけど、その中に麹を固めたものや酵母を固めたものがあったんです。酒造りの過程の中で、仕込んで数日の「酒母」の状態は麹の甘さもあって酵母も生きていてアルコールが無い。それを固形化して錠剤にできたら健康食品になりそうだと考えたらしいんです。でも実際には難しいと。アイスクリームになるまでも色々あったんですけど最終的には口に入れて溶けて摂取できるならご年配の方などにも食べやすいだろうと。
米と麹だけを使ったアイスクリームは商品化するまでに5年ほどかかりました。できたときには取材などもあって話題にはなったのですがリピートがない。「おいしくないんじゃないか」とか、「紫波町に足を運ぶ人が少ないんだ」とか色々考えて、「売りたいのか、売りたくないのか」「来てほしいのか、来てほしくないのか」と考えた末、どうしたってジェラートの滑らかさやホイップ感は砂糖を加えることでしか出ない。ならば最低限の砂糖を入れて作ろうということになりました。
お客さんからは「他にはないよね、この味」って。やはり多少発酵臭がありますから独特ですし、お米の溶け切らない部分がざらつきます。米が主体になりますからお腹いっぱいになるという感想もありました。ジェラートをやるようになってから中学生や高校生がお店に足を運んでくれるようになり、日本酒に馴染みのない世代にも月の輪を知ってもらえるようになりましたね。
酒粕と自家栽培りんごの「りんご梅酒」
酒造りのシーズンが始まる前にさまざまな機械を洗浄して使うんですが、どうしても配管に残った成分が汚れとなって残ってしまうんですね。一本目のお酒を搾るときそれらを拾って出てくるので酒粕が汚いんです。それは商品として出せないんですけど、ただ捨てるにはもったいない。うちにりんご畑があるから肥料としてまいておくかと。で、そうやって作ったりんごをお歳暮でお配りしていて。それ以外の傷が付いたとか割れたとかの理由ではじいたりんごをジュースにしていて。
それと、在庫の酒粕が増えていっぱいになってしまった。酒粕が売れてくれないと結局捨てるしかないのですが、酒粕は再発酵すると焼酎を造ることができる。ところが焼酎というのもそんなに売れるものでもない。そこで数年前から流行ってきた日本酒の梅酒に注目したのです。それまでは日本酒と一緒にしてりんごリキュールを販売していたんですが、りんごリキュールという商品は日本酒なのかワインなのか、なかなかカテゴリー分けが難しくてお店のメニューに入りにくい。「りんご梅酒」だったら梅酒のカテゴリーに入れられるし、りんごというアピールもある。お店の方も置きやすいですよね。
自社の酒粕を使った焼酎と自前のりんご園のりんご果汁で造られているという「りんご梅酒」はまずないと思います。梅も地元のものでやってます。地元のものがB級品だったら使わないでしょうが、ちゃんと作られた農産物が地元にありますから。私たちが商品を創り出すことで、農家さんですとか色んな人が関わっていくじゃないですか。だから生産者の顔や人がわかる商品であれれば、なおいいですよね。
20年ぶりに仕込みを再開した理由
生酛(きもと)をやってほしいというのは、会長から要望として言われていました。たまたまうちの社員から「美山錦を作ろうと思ってます。ぜひそれでお酒を造ってみたい」と。以前から社員が主体になって仕込んだものを商品化しても面白いんじゃないかと思っていて、2016年の仕込みからそれを使おうということになりました。 ※2016年12月取材当時の情報です
私も蔵に来てから生酛をやっていないので、仕込みを見たこともないんです。今、一本目を仕込んでいるんですけど、年明けに搾ることになっています。祖父がやっていたころは生酛がメインでした。「月の輪の水は生酛に合う」と。硬度が高めの水なので「やったらいいのに」って。他の食品会社のお話を聞いても、何百という新商品を創るけれども、発売して何十年という定番商品ってなかなか無いようでした。ですから目新しいものとして発売するんですけど、生酛が新しい定番になればいいなと思っています。