2021年11月21日、2021年3月に閉校となった旧 紫波町立水分小学校でオープンキャンパスが開催されました。
本記事はオープンキャンパス内で行われたトークセッション、酒とまちづくりの未来論のイベントレポートとなります。
トークセッションの登壇者は遠野市のビールを核にしたまちづくり「ビールの里」構想に取り組む、株式会社Brew Goodの田村淳一さん。紫波町が掲げる「酒のまち」の推進を担う、紫波町役場の須川翔太さん。ファシリテーターはコーディネーターの立場で須川さんと「SAKE TOWN SHIWA」プロジェクトに取り組んできたNPO法人wizの黒沢惟人さんです。
前編(本記事)の話し手は紫波町役場の須川翔太さん、後編の話し手は株式会社Brew Goodの田村淳一さんになります。
(黒沢)
ファシリテーターを担当します、NPO法人wizの黒沢です。
6年前になりますが、紫波町内の酒蔵やワイナリーに大学生の夏休みや春休みの長期休暇期間にインターンシップを受け入れてもらう「SAKE TOWN SHIWA」プロジェクトという事業を紫波町役場の須川さんと一緒に行っていまして、この事業を通じて、町の日本酒事業者やワイナリーのみなさんにはお世話になりました。他には、紫波町の地域おこし協力隊の採用と活動支援にも関わらせてもらっています。
これから紫波町役場の須川さんが紫波町が推進していく「酒のまち」についてご説明しますが、そのプロジェクトにも関わらせてもらっています。
今日の登壇者をご紹介します。
最初に紫波町水分出身、在住、紫波町役場の須川さんです。
続いて、遠野からお越しいただいたBrew Goodの田村さんです。
チラシの案内にもあるように、今日は「聞くだけで酔えるトークセッション」ということになっています。
話を聞くだけでは酔えねぇよという方は、後ろの方にお酒の試飲も用意していますので、ぜひ飲んで酔って帰っていただければと思います。
一同(笑)
まずは紫波町役場の須川さんから、町としてこれから何をしようとしているのかをお話してもらいます。
紫波町からこれから目指す、酒を核としたまちづくり「酒のまち」とは
(須川)
今日はお越しいただいてありがとうございます。水分の地元の方から、遠方の方までありがとうございます。
今日は遠野市からBrew Goodの田村さんにお越しいただいているんですが、遠野市のビールを核にしたまちづくりをしている方です。田村さんのお話を聞く前に、紫波町としての「酒のまち」を推進して行くための考え方を説明させてもらい、「酒を核にしたまちづくりってどういうものなんだろうね?」というのをみなさんと一緒に考えていければと思います。
私は水分生まれ、水分育ちです。この水分小学校を卒業していて、紫波を出たことがありません。紫波町役場に入庁し、今は企画課というところで働いています。
お酒の仕事をするようになって、日本酒がすごく好きになり、唎酒師の資格を取りました。飲んでいるうちに酒造りにも興味が湧いて、水分で日本酒造りをしている廣田酒造店で蔵人見習いもさせてもらってます。自称、役場の酒担当です。
なんでこんなに「酒、酒」言っているのかを、説明します。
紫波町と酒の関係を説明すると、大きく2つあります。
1つ目は「酒造りに良い環境があり、町内で酒が醸されているという事実」です。
日本酒を醸造する蔵が4つあり、どの蔵も100年を超える歴史があります。また、紫波町は岩手県内最大のぶどう産地でもあり、ワイナリーもあります。りんごも栽培されているということで最近では水分にサイダリーの醸造所もできました。
2つ目は「国内最大の杜氏集団、南部杜氏発祥の地である」ことです。
江戸時代に遡って、近江商人の村井権兵衛という人が紫波を気に入り、大阪池田から杜氏を呼んで酒を造ったことが全ての始まりです。南部の人の性格が酒造りにフィットしたこともあって、杜氏として仙台藩から呼ばれるほどの腕前になり、そして国内最大規模の杜氏集団まで成長しました。
これらの歴史を振り返ると実は紫波町は、江戸時代から「酒のまちづくり」をやっていたのではないか?と思っています。
環境的にも水分神社の湧水もある、豊かな水田もある、樽の材料である杉もあった。水分のすぐ隣の志和地区というところがあり、八戸藩の飛び地だったわけですが、そこで酒造りの開業届を村井権兵衛が出し、八戸藩の代官所はそれをすぐさま許可し、しかも一等地に酒蔵を構えさせた。そして、どんどん繁盛して、繁華街のようなまちづくりに成功しています。これは、今でいうところの「公民連携のまちづくり」だと思います。
そこから発展していった南部杜氏、そして南部杜氏協会は今でも「困った時の拠り所」として全国の酒造りを支えています。
そういう紫波町の歴史的背景を考えても、先人たちがやってきた酒のまちづくりの精神は脈々と受け継がれているのだと感じています。
これらの歴史、文化から、紫波町として3つの責任があると考えています。
1つ目は「南部杜氏発祥の地であるという責任」です。
南部杜氏は冬季の出稼ぎが主流ですが、それが時代に合わなくなってきています。そして、酒蔵の経営者である蔵元が杜氏を兼ねるスタイルも増えてきている。
紫波町としては、南部杜氏の時代に合わせたスタイルを示して行かなければならないと思っています。
「南部杜氏の源流」という本に紫波のことがこう書かれています。「外からやってきたヨソ者が新しい価値を生み出し、伝え、内部の人間はそれを受け入れてきた。」この空気感は今でも必要だと思っています。
2つ目は「暮らしを創る役場という責任」です。
昨今のコロナ渦で酒産業の売り上げは大変深刻な状況になっていますが、お酒自体は数千年前からあって、お酒を楽しむ文化も全く衰えていません。人々の暮らしに溶け込むお酒のあり方を考えるのは、紫波町役場として当然の責任です。
3つ目は「行政の立場にいるという責任」です。
現在、日本酒では新規醸造免許を取得することが認められていません。この規制を緩和できる可能性が国の特区制度の活用です。これは行政の立場にいる人間にしかできないことです。隣の花巻市も特区制度を活用してワイン醸造の緩和をしています。紫波町だからこそできることを考えていきたいです。
「この町だからできる酒造りを通じて、この町から変えていきたい」
これは紫波町にしかできないことだと思っています。
今も紫波町の至る所で酒造りが行われていますが、新しい酒造り、新しい人材や雇用が生まれることで紫波町の子どもたちに新しい文化に触れさせてあげられる、教えてあげられる。そういう、未来につながるような新しい価値を「酒のまち」に取り組む中で、見出していければと考えています。
後編はこちらからご覧ください→https://tsugihito.net/archives/928